メーヤウへの偏愛を語る(かなり長いです)
早稲田メーヤウ2代目社長の高師です。この度はこちらのページをみていただき、誠にありがとうございます。私は、元々はこちらのお店の多くいる常連の一人でした。私は2007年に早稲田大学に入学し、2017年に閉店してしまうまでの10年間で1000食以上、インド風チキンカリーを食べる、いわゆる「メーヤウ信者」でした。ひょんなことをきっかけにこうしてメーヤウを継ぐことになり、強い使命感を感じながら多くの方にこのメーヤウのカリーの唯一無二な味を布教していきたいと思っております。
長くはなりますが、メーヤウの歴史・メーヤウの魅力などをこのページに、記載したいと思っております。
歴史については先代などから伝承したものであり100%正しいとは限りませんのでご注意ください。そのため人のお名前などは記載しておりません。もし、より詳しい情報をお持ちの方がいればぜひご連絡ください。(私にとって宝のような情報です)
メーヤウの歴史
メーヤウは、名前は違えど暖簾分けのようなお店が全国に複数店舗あります。その歴史を辿れば1983年に信濃町で創業されたたタイ風カリー店が起源になります。現在も信濃町メーヤウは絶大な人気を博す、いわばエスニックカリーのパイオニアと呼ばれるお店です。 なお、このメーヤウ(Mae Yao / แม่ยาว)という名前は、創業者が創業前がタイ料理を学びにいった際のホームステイ先であるタイ北部の小さな村の名称です。「正式な発音はなにか?」と聞かれることがありますが、多くの方は「メーヤウ⤴︎」と発音しますが、私が知る限りでは「メーヤウ⤵︎」と発音するのが正しいはずです。
1983年当時タイ料理が珍しく、信濃町のメーヤウは人気店となり、2号店を1989年に早稲田でオープンすることになりました。その早稲田店では数年の間に何回か経営母体の変更があり、1997年にいまの早稲田メーヤウの前身となる「メーヤウ早稲田店」が誕生しました。
駒沢大学のピキヌーさんや長野県で複数店舗を展開されている松本メーヤウさんはその期間(1989年〜1997年)に早稲田店でオーナーをされていた方が、立ち上げたカリー店です。私は、どのお店のカリーも今もなお通うほど大好きです。特にピキヌーさんのインド風チキンカリーでライス大盛りが大好きです。また、神保町にあるばんびさんはこの「メーヤウ早稲田店」で働かれていた方が立ち上げたカリー店です。こちらはインド風ポークカリー、ライス中盛りが大好きです。
そう言った背景もあり、早稲田店としては創業は1989年となりますが、色々と経営母体が変わるなどして「創業はいつなんだ?」みたいな議論がよくあり私にも連絡がきます。
さて、その「メーヤウ早稲田店」ですが、早稲田大学の近くにあったこともあり、早稲田高校の生徒や早稲田大学の生徒が多く訪れることになりました。大変人気となり、いわゆるワセメシの代表格となりました。早稲田高校の生徒が当時、授業を抜けて塀を登りメーヤウに行くという人が多くいたとも聞いており、お昼時の行列は大変なものでした。なお、1日で400食売れることも多くありました。
当時上京したての早稲田大学の新入生も、先輩に連れられて、メーヤウのカリーを食べさせてもらう、いや食べさせられるという通過儀礼がありました。見た目からは普通のカレーに見えるので、実際に食べた時の驚きがすごく、「メーヤウに襲われる」と表現されるほどでした。ケラケラと喜ぶ先輩と悶える後輩の姿は、今の時代となってはメーヤウハラスメントと称されてもおかしくないものですが、当時はそのようにしてメーヤウによる"歓迎"があり、それが先輩から後輩たちへと脈々と受け継がれていったのです。ただ、メーヤウのすごいところで大変不思議な部分なのですが、「もう二度と食べない」と強く誓い帰宅するのに、数日すると「メーヤウが食べたい」となってくるのです。そうして、メーヤウはただの辛いゲテモノではなく、多くの人から愛されるカリー店となっていきました。店の場所は早稲田大学の最寄りの早稲田駅の交差点の2階にあったことから学校の授業の合間や学校終わりに寄っていく学生が多くいました。店の前に大きく飾られていた「秦国風咖喱」という看板がありましたが、この文字を見ると今も懐かしく思われる方も多くいるのではないでしょうか。このように20年近く、早稲田生、早稲田OB、カレー好き、激辛好きに愛されていきました。
しかし、2017年春に突如、店頭に「リニューアル休業」の張り紙が貼られ、その後リニューアルもオープンもすることなく、メーヤウは閉店していくことになりました。これは先代の店長さんが体力的に厳しくなってきたということを背景に、他の企業に経営を譲って再出発する予定だったのですが、諸事情でその話が無くなってしまい、そのままテナントを出なければいけないことになり、また後継者もすぐには見つからず閉店となってしまったのです。(当時、この事情は誰も知りえません。のちに先代から聞いた内容です)この時には、メーヤウが人生の一部のように食べ歩んできた多くのメーヤウ信者に衝撃が走りました。当然僕もその一人でした。お別れも言えず、突然の閉店だったため、SNSでは驚きと悲しみの声でいっぱいでしたが、メーヤウはその後も事情を説明することはありませんでした。
私は、そこから心の穴を埋めるようにさまざまなカリー屋さんに行きメーヤウに似たカレーを探しました。また、メーヤウと同じ辛さを求めてたくさんの辛いものを食べました。しかし、メーヤウを食べた時の「多幸感」を感じることができなかったのです。
そうして、時は経ち、2019年にメーヤウの公式Twitterが突然投稿をします。「9月の早稲田感謝祭に出店します」と。多くのメーヤウファンが歓喜に溢れ、当日は数時間前からスーツケースを持った大人たちもちらほら見える中、行列ができました。真夏の暑い日で、となりのジュース屋さんが飛ぶように売れました。キッチンカーを借りて、大学校内で1日限定で復活。もともとメーヤウでバイトをしていたOBたちが集まって実現してくれたのです。
私は、一人のメーヤウファンとして、妻と2時間前に到着し、長蛇のなか100番目くらいに並んでいました。
オープンの時間になり、続々と"メーヤウ信者達"がカリーをテイクアウトしていきます。あまりの混み具合にスタッフさんが「もしかしたら食べれないかもしれません...!!その時はご了承ください!」と列に並ぶ人たちに声がけをしているほど、想像を遥かに上回る人の数と熱気でした。食べにきただけでなく、私はもう一つの目的がありました。「なぜ、メーヤウが閉店してしまったのか」を知ることです。当時はリニューアル休業の張り紙以外の情報はなく、上記に記載したような事実は私はもちろん、メーヤウファンは知り得ませんでした。列に並ぶ常連さん一人一人に挨拶をしていく先代。そこで僕の疑問を聞いてみたかったのですが、大変シャイな性格でなかなか声をかけることができません。そんな中、常連さんと先代が会話しているのが聞こえてきます。「後継者がいなくてね」と。そこで初めて、メーヤウが閉店した理由を僕は知り、驚きます。「なんてもったいないんだ」と。「それだったら私が継ぐ」という気持ちさえ湧いてきたのです。しかし、やはりシャイで声をかけられなかった私は、ただインド風チキンカリーを注文して受け取ってベンチに座ってしまいました。

そして、不甲斐なさを感じながら、自宅に帰りました。
メーヤウ復活のクラウドファンディングにてネームプレートを掲載をご購入いただいた方々。
続く